途中暗くなる話もあるから、閲覧注意。
物心着いたころから、俺の家は超絶貧乏だった。
両親はいるが、親父は酒を飲むしギャンブルはする、職も転々としていた。
まぁこんな父親だが、気性が荒いというわけでもなく、優しい所もあった。字も達筆だった。
母親はいつもパートに出かけていた。
しかし、両親はいつも俺にはやさしかった。
貧乏ながらも、子供の頃に自転車を買ってもらったり、
怒られた記憶もなかった。
服とかはいつも同じのを着ていた記憶がある。
かすかに覚えているのだが、ある日の真夜中に母が俺の
手を引っ張って出て行った事があった。
向かった先は近所の広くて深い池。
そこの前で、母と俺とでずっとつったっていて、
母は何も言わずに泣いていた。
俺も幼心にもしかして、今日ここで母は俺と一緒に死ぬのかもしれないと感じていた。
30分~1時間程で戻ったんだと思うけど、覚えている。
普通に部活も勉強もするし、好きになった子もいた。
同じ学校の子だが、一目惚れだった。
優しそうで、絶対に付き合いたいと思っていた。
まぁ色々あって付き合った。
(その子が後の嫁になるんだが。)
高一から高二までの間は喧嘩もしたけど、お互い惹かれあっていった。
いつも思う、すごく優しい人だった。
家にお呼ばれしてご飯を食べたこともあったが、
家はまぁまぁお金持ちそうで、とんでもなく美味しいすき焼きを食べた記憶がある。
両親も穏やかで物凄くやさしかった。
忘れもしない17歳の誕生日の翌日、俺の中で衝撃な事件が起こった。
いつものように家へ帰ってくると、両親によびだされた。
やけに表情がかたかったし、真剣な表情だ。
異様な雰囲気を感じた。
親父「俺たちは、お前の事を誰よりも愛している。それだけは覚えておいてくれ。」
俺はいきなり何をいってるんだ?と思った。
離婚でもするのかと怖かった。
親父「お前に伝えておかないといけない大切な事がある。お前は俺たち二人の宝だ。」
俺は早くいってくれ。何なんだよ、って思っていた。
親父に俺が本当の子供じゃない事を告げられた。
それまで全く考えたこともなかったから、頭が真っ白になった。
「本当の両親は?」
「一滴も血が繋がってないのか」
「本当の両親が誰かさえ分からないの」
その辺を詳しく知りたかったけど、教えてくれなかった。
というか、両親も何か事情があってわからなかったのかもしれない。
それか、教えたくない事実があるのか。
バイトで稼いだ有り金全部持って遠い遠い場所まで、当てのない
目的もないどこかへ電車で揺られていた。
3日程、学校もバイトも友達も彼女も育ての親も放置してさ迷った。
あてもなく。
東北のとある漁村までいった記憶はある。
そこの公園で寝ていたら、ホームレスみたいなおっさんが声をかけてきた。
「若いのにどうしたんの?」
俺は事情があって家出をしていると伝えた。
おっさんは俺の話を聞いてくれた。
帰るべきだと言われた、少し悩んだが、帰る事にした。
どうしようもなかったからか、俺は家へ帰った。
4日目の夜位だ。
母は号泣して俺に抱き着いてきた。「もう帰ってこうへんと思ったやんか!!!って」
親父も「ばかやろう!!!」って言ってずっと泣いていた。
俺も号泣した。なんだか本当に心配かけて申し訳なかった。
本当に本当に申し訳なかった。
本当の親とか本当はどうでもよかった、どういう事情があれこの二人こそが俺の両親だときっと最初から結論は出ていた。
どんなに貧乏でも俺は沢山の愛情をもらって生きてきた事は感じていた。
しばらくして、彼女も家に来てくれた。
事情を知ってくれていて、泣いてくれていた。
俺はお前が泣くことじゃないと言ったが、俺君が一人で辛い気持ちになっているって考えたら泣けてきてって言ってくれた。
暗い過去だな
そして、高校3年生の春辺りに母が急死した。
元々体が弱く、特に心臓が弱かった母は心臓発作であまりに唐突に亡くなった。
俺は何か全てがどうでもよくなった。
正直死にたかった。
決してマザコンではないのだが、何をやっても肯定してくれる母が死んだ世界で
生きていても仕方が無いと一瞬考えた。
でも彼女がもの凄く気遣ってくれた。
高校生なのに、本当に優しかった。
親父は荒れた。
そして、高校3年生の夏の終わり頃、親父が死亡した。
死因は大量の飲酒でフラフラになって川へ転落して死んだ。
まるで、自殺でもしたかのようだった。
それでも、俺は本当に悲しかった。
これで、身内も無く完全な孤独の身となった。
高校を出て俺は、すぐに就職した。
勉強もなるべく金をかけずに奨学金で行ける大学を目指していたのだが、
生きていくには働かなきゃいけなかった。
若い俺にはそれしか選択肢は無かった。
就職先は、会社の倉庫整理だった。
まぁ重労働だ、けどがむしゃらに頑張った。
頭を使わない仕事だから、よけいに無心で働いた。
保証人も要らないアパートも借りた。
周りの同年代が遊んでいるのを横目に必死で働いた、生きるために。
彼女は手に職を付けるためと、大学へは行かずに2年生の専門学校へ行った。
2年したら結婚しようとお互い決めていた。
若いながらに半同棲生活を送るようになった。
彼女は専門学生なのに、かなり勉強しないといけないのだが、俺との時間を頑張ってつくってくれていた。
俺も彼女だけが、心の支えだった。
だからクソ真面目に頑張れたんだと思う。
他の誰よりも一番仕事を頑張ろうと決めた、彼女を幸せにしたいので。
そんなある日、倉庫整理を卒業する日が来た。
俺の頑張や、周りに接する態度に目を止めていてくれたのか、本社で働けるようになった。
営業職だが。
スーツも買いにいった。営業マナーの本もありったけ買って熟読した。
彼女も大喜びだった。
営業でも、全力で頑張った。
周りが大卒ばかりで馬鹿にされる事も多々あった。
しかし、悔しさをばねに頑張った。
それから2年程経過して、彼女は国家資格の免許を取って無事就職。
彼女は彼女で色々あったが、もの凄く頑張っていた。応援しかできなかったが、俺に出来る事だったら何でもしてあげたいと思っていた。
そして俺も営業の仕事に慣れだしてきていた。
すれ違った生活もしていたけれど、お互いの根底はゆるぎないものがあったのだと思う。
そして満を持して同棲して、俺達は入籍した。
彼女の両親も祝福してくれた。
結婚式は挙げなかった、俺の両親が死んでいたから、彼女の両親が気を使ってくれたのかもしれない。
そっから4年して女の子が生まれた。
俺達夫婦は若いながらも順風満帆な生活を送っていた。
25歳だったかな、また新たなスタートだが、頑張って行こうと心に決めた。
嫌な上司もいた。
学歴を見て馬鹿にしてくる。
飲み会の席でも皆が見ている前で俺に説教をした。
本当こういう奴ってどうしようもないんだわ。
娘が2歳になった頃、嫁が乳癌になった。
右胸の脇近くに3センチのシコリがあった。
ステージ4だ。
俺はステージ4がどれくらいやばいのかも理解した。
余命は言われなかった。
二人で今後の闘病生活を話し合った。
俺は出来るだけ笑顔で接していたけども、嫁も笑顔だった。
でもその後、俺が最初に泣いてしまった。
本当に申し訳なかったけど、人間どう頑張っても自分の感情を抑えられない時ってあるんだろう。
嫁も泣いてしまったから、俺は笑って泣きながら大丈夫だよって冗談をいって泣いていた。
そこから苦しい闘病生活が始まった。
放射線治療と抗がん剤で癌を小さくしてから切除の治療に入る。
その時は娘は嫁の両親に預けていた。
それも俺は申し訳なかったが、必ず治ると信じていた。
癌が転移するリンパを取れば治るものだと、いろんなところから情報を集めた。
情報は集めれば集めれば怪しいものも多々ある。
抗がん剤治療は壮絶だった。
髪も抜けるしウィッグも買った。
嫁は髪が抜けた姿を一度も俺には見せなかった。
手術は成功だった。
乳房と、リンパも切除した。
完治した、退院した。
その後夫婦は円満なの?
天涯孤独な俺が結婚した嫁が死んだ話